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旧上九一色村、強制捜査から25年 段ボール箱の中に眠っていた千枚の写真が語るオウムの姿

荒井由佳子映像ディレクター

月曜の朝だった。通勤客で混み合う都心の地下鉄に5人の男が乗り込んだ。晴れた日なのになぜか全員、傘を持っていた。電車を降りる直前、彼らは持っていた包みを床に置くと、傘の先で突き刺した。中には猛毒ガスのサリンが入っていた。こうして未曾有の無差別テロ、地下鉄サリン事件は起きた。その二日後の1995年3月22日、警察はオウム真理教への強制捜査を行った。中心となったのは800人以上の信者が暮らす山梨県旧上九一色村だった。あれから25年、かつてマスコミが「オウムの村」と呼んだ地で、教団と対峙した男性の家を訪ねると、そこには、狂暴な犯罪集団へと暴走するオウム真理教の姿を記録した千枚の写真が眠っていた。

「くやしい」
 今年92歳になるその人は、絞り出すような声でそう言った。
「地下鉄サリン事件は、防げたはずの事件だった。それを防がなったのが問題なんだ…」
最後の言葉は聞き取れないほど沈んでいた。
 
 昨年はじめ、平成の重大事件を紹介する番組のために山梨県旧上九一色村を訪れた。“旧“と書いたのは、2006年の町村合併で上九一色村が消滅したからだ。オウムの施設があった場所は、今は富士河口湖町の一部となっている。
 
 オウム真理教が村に進出したのは1989年。地下鉄サリン事件が起こる6年前のことだった。教団は次々と施設を建設し、およそ800人もの信者が暮らす一大拠点を作り上げた。さらにそこには、サリン製造プラントや、遺体を「消す」ためのマイクロウェーブ焼却炉もあった。勢力が拡大するにつれ暴走していったオウム。彼らを間近で見ていた住民に会い、あの時何があったのかを聞くことが取材の目的だった。

 そこで出会ったのが、竹内精一さんだった。長年、村で牛を育ててきた竹内さんは、今は引退し奥さんの勝子さんと息子さんと暮らしている。90歳を超えても元気な竹内さんの記憶は、驚くほど鮮明だった。
 
 1989年に村の土地を手に入れたオウムは、まず敷地の周囲に高い塀を建てた。外部の業者を入れず、工事はすべて信者が行ったので、中で何が作られているのか分からなかった。工事は夜通し続き、騒音は24時間止むことがなかった。信者が運転する車は、なぜかいつも猛スピードで走り、そのため交通事故が何件も起きた。脱走した信者が、竹内さんの家にかくまって欲しいと来ることが何度もあった。信者の親が訪ねてきた時は、もし子どもを見かけたら渡して欲しいと、分厚い手紙や写真を置いていった。やがて異臭騒ぎが起きた。教団の近くに生えていた草が見たことがないような枯れ方をした。何人かの信者が、建物の外に出てぐったりとしている姿も見たという。

 こうした出来事を、竹内さんたち住民は、行政や警察に逐一伝えていた。しかし、きちんとした証拠が無いと動けないと、どちらも腰が重かった。そして1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きた。
 
「くやしい」
 それは、「地下鉄サリン事件が起きた時、どう思いましたか?」という問いに竹内さんが答えた言葉だ。最初は行政や警察に対する怒りから出た言葉だと思っていた。しかし話を聞くうちに、竹内さん自身にも向けられた言葉だと気が付いた。

 竹内さんは14歳の時、自ら志願して満蒙開拓青少年義勇軍に参加した。それは戦時中の日本が、理想の国家を作るという名目のもと、未成年者を満州の開拓と警備に送るための組織だった。竹内さんは、4年間のシベリア抑留を経て帰国出来たが、多くの仲間は生きて戻れなかった。教祖のために、教団のためにと、ただそれだけを考え行動するオウムの若い信者たち。そんな彼らと、若い時の自分がどこか重なって見えることが、竹内さんにはあった。そして、もっと何かできたのではないかと思うのだという。

 番組の放送後、私たちは竹内さんの家を再び訪れた。話をもう少し聞きたいと思ったからだった。そこで見せてくれたのが、段ボールに無造作に詰められたオウムの写真だった。撮り始めたきっかけは、教団から「そんなに文句を言うのなら証拠を見せろ。無ければ帰れ。」と言われたことだった。それから趣味の花を撮るためのカメラを常に持ち歩くようにした。
 
 写真には、ほぼ毎日のペースでオウムの様子が記録されていた。その多くは、敷地の中が見渡せる高台から撮られたものだ。トラックやミキサー車、その脇に、教団が開発したコスモクリーナーという巨大な空気清浄機が並んでいる。塀の隙間から撮られた写真には、地下深く掘られた穴が写っていた。そうした写真が千枚近くあった。

 そして新しいプロジェクトが始まった。一枚ずつスキャンして、日付ごとに整理し、情報を入れる。筆まめな竹内さんが、時々、写真の裏にメモしていた内容が作業を助けてくれた。半年かけて、大部分の写真を整理し終えた時、10分の映像にまとめることを決めた。それがここにある映像である。

 今年の初めからインスタグラムに写真をアップすることも始めた。オウムを体験していない世代の人たちと、竹内さんが8年以上、3073日に渡って見続けたものを共有したいと思ったからだ。

「防げたはずの事件」がいまから25年前に起きた。竹内さんの「くやしい」を二度と繰り返してはいけない。

「3073daysproject : https://www.instagram.com/3073daysproject/

クレジット

ディレクター:荒井由佳子
撮影:堀越希美恵
プロデューサー:高尾順子 渡邊仁子

Telecom Staff / テレコムスタッフ

映像ディレクター

1986年神奈川県生まれ。武蔵野美術大学空間演出学科を卒業後、2010年番組制作会社テレコムスタッフ入社、ドキュメンタリー番組の制作を行う。英国の王立演劇学校(RADA)を取材した「英国男優はこうして作られる」(2017年)で衛星放送協会オリジナル番組アワード情報番組教養番組部門最優秀賞受賞。山梨県富士ヶ嶺(旧上九一色村)でオウム真理教を写真に撮り続けた竹内精一さんをテーマにした「3073DAYS-As Seen by a Man」(2019年)でTokyoDocsショートドキュメンタリーショーケース優秀作品賞受賞。現在長編作品化に向けて竹内さんを継続取材中。