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先輩騎手の不祥事に「移籍考えた」 笠松競馬の20歳女性騎手、レースにかける思い

小澤雅人映画監督/映像クリエイター

「名馬・名手の里、笠松競馬」。岐阜県・笠松競馬の場内に流れる実況放送では、各レースの冒頭にこのフレーズが必ず入る。名馬オグリキャップを輩出、名騎手だった安藤勝己がデビューし、中央地方の枠を越えて注目を集めた名門に衝撃が走ったのは、2021年1月のことだ。所属する騎手や調教師らによる馬券の不正購入が前年に発覚。その後も不祥事が相次ぎ、開催自粛に追い込まれた。自粛はずるずると9月まで延び、再開までの空白期間は8カ月に及んだ。初騎乗の直後に不祥事にぶつかった新人騎手の深澤杏花さん(20)は、この時をどんな気持ちで過ごしていたのか。競馬が再開されたいま、何を思っているのか。

【騎手の仕事は命がけ】

昼間は眺めのよい木曽川河畔のコースでは、深夜だというのに多くの馬の吐息やひずめの音がリズミカルに響き渡る。2020年4月にデビューした深澤杏花騎手はほぼ毎日、真夜中の午前1時過ぎから朝8時半ごろまで、30頭ほどの馬の調教をこなしている。レースのある日はその後に30分ほどの仮眠を取ると、11時ごろ発走する第1レースに備える。最終レースの16時半ごろまで体を動かし続けるかなりハードなスケジュールだ。

「私、最初知らなかったんですよ。攻め馬(調教)をこんな朝早くからしていることとか、レースがこんなに大変なこととか。あの姿勢で乗ってくることがどれだけ大変なのかも全然知らなかったので」

騎手にはハードスケジュールをこなす強じんな体力が要求されるだけではない。猛烈なスピードを出しながら至近距離で他馬と競り合うレースは、常に危険と隣り合わせだ。深澤騎手もレース中に3回落馬したという。運良く大事にはいたっていないが、「いつか必ず大ケガすると思う」と覚悟している。

取材中にも、スタート直後につまずいた馬から深澤騎手が落ち、しばらくうずくまる場面があった。スタンドの観客からどよめきが起きたが、直後のレースでは何事もなかったようにパドックに現れ、にこやかに他の騎手やきゅう務員と談笑していた。

「落ち込んでいたら余計心配されちゃうし、できるだけニコニコしておこうって思って。恥ずかしいって思いながら笑っていました」

【「男社会」の競馬界で生きていくこと】

こうしたメンタルの強さはどこから来るのか。深澤騎手はこう話す。

「男性だけの社会にいたらやっぱり嫌でも強くなりますよね。きゅう務員さんを合わせても女性が10人いるかいないかぐらいのところなので。男性に言いづらいこともあるし、自分が強くならないとな、と思います」

深澤騎手が所属するきゅう舎の田口輝彦調教師(56)は、そんな彼女の苦労を間近で見つつ、温かく見守っている。

「正直、大変だろうなと思います。見ていてもやっぱり腕力とか筋力とかもう全然、男の子には勝てない部分っていっぱいあると思うんですよね、どんなスポーツでもそうだけど。競輪、競艇は女性だけのレースってあるけど、競馬は普段から女性だけのレースがないので。それを考えるとやっぱりちょっと不利なんだろうけど、馬乗りは力だけじゃないので、騎乗技術を磨けば、そんなに劣ることはないんじゃないかなとは思うんです」

深澤騎手自身も、女性であることの不利を自覚しつつ、努力してそれを乗り越えようとしている。

「いくら鍛えても、男性の方が強いじゃないですか、筋力って。だから、同期の騎手とかでも、この子は抑えられるのに杏花ちゃんはこの馬を抑えられないね、みたいに言われたりすることがあるので、すごくそこは悔しいですね」

深澤騎手は、神戸市の出身。馬が好きで、将来は牧場で働きたいと考えていた。中学生の時にたまたまテレビの競馬中継を見て、騎手になろうと決意した。中学卒業後、親元を離れて千葉県の騎手育成学校に通い、難関の地方競馬の騎手課程に合格。さらに栃木県の地方競馬教養センターで2年間学び、厳しい訓練を積んだ。地方競馬騎手免許を取得後、2020年4月に笠松競馬で騎手デビューを果たした。しかしその8カ月後、思いもよらぬ事態に直面する。

【不正で奪われたレースと生活の糧】

騎手や調教師らは、公正を期すために自分たちが関わるレースの馬券を買うことは競馬法で禁じられている。だが、笠松競馬の一部の騎手や調教師は、協力者に依頼してグループで馬券を購入していた。摘発された騎手らは、不正防止などのためレース前日に騎乗予定騎手全員が入室する宿泊施設内で「作戦会議」を開いていた。深澤騎手は、そうした実態は知らなかったという。「(不正をした)先輩騎手たちが集まっている中に私たち若手は入らないですし、みんなレースのビデオを見終わったらすぐ部屋に戻って寝ちゃうので」。

寝耳に水だったが、レースが行われなくなるのは騎手にとっては死活問題だ。

「この職業って馬に乗らないと生活ができないじゃないですか。だから早く次を決めないと、とかいろいろ考えていました。他の競馬場に移籍しようかなとも」

開催自粛により生活が立ち行かなくなったのは、騎手などの競馬関係者だけではない。競馬場内で働く人々も仕事がなくなった。そして、笠松競馬を愛するファンたちをも裏切ることになった。

「もう下手したら、このまま笠松競馬がなくなってしまうようなムードでもあったし、悔しかった。怒りをどこに持っていったらいいかわからないぐらい」(場内にブースを構える予想屋)

「昨年のことは、ファンからしたらとても残念。ああいうことがあっても嫌だということはない、っていうのはウソですよね」(地元のファン)

「言葉は悪いけど、とばっちり。ぼくら何もしてないのに。ぶつけようのないものを抱えながら再開を待つしかないっていう感じでした」(場内の飲食店主)

2021年9月、笠松競馬は8カ月に及ぶ自粛期間をへて、ようやく再開した。笠松競馬を運営する岐阜県地方競馬組合によると、自粛により当初見込んでいた約75億円の馬券販売収入がなくなり、21年度は4億5千万円の赤字になる見込みだという。また、馬券の不正購入に関与した計12人の騎手と調教師が免許を失い、笠松競馬に所属する騎手は17人から9人に減った。名古屋競馬からの応援や、出場機会を求めて短期で移籍してくる若手騎手に頼らざるを得ない。ある関係者は「自粛前と比べ、騎手も調教師もメンバーが変わっているし、前の笠松競馬場は帰ってこないんだなと。今は全く新しい笠松競馬場なんだという感覚になった」と嘆く。

それでも深澤騎手は、我慢の時期を乗り越え、新たな気持ちで騎乗しているという。

「8カ月も乗れなかったらやっぱり競馬乗りたいって思いましたし、一から考えを変えてまた頑張ろうっていう気持ちになりました。一鞍一鞍、全力で乗って、人気の馬を飛ばす(人気を裏切る)こともあるんですけど、自分は全力で乗っています、ということを見てほしいですね」

【それでも騎手になってよかった】

競馬は再開されたが、騎手が減った分、ひとりがこなす調教の数が増え、拘束時間も延びた。1日5時間眠れればいい方だという。

騎手という職業を選んだことを、深澤騎手はどう思っているのか。

「大変な職業なんですけど、勝ったときの喜びは忘れられないですし、ひとりでつくるわけじゃないんで、馬を。いろんな人の関わりがあって騎手も馬に乗せていただけるし、その人たちとも喜び合うこともできますし。すごく、なってよかったなって思いますね。思っていたのとは違っても、いい職業に就いたなと思います」

オフのある日、深澤騎手は競馬場の観客スタンドに初めて足を踏み入れた。スタンドの裏の飲食店で食べ物を買おうとするが、どれにするか迷う。店員が「1番人気だ」という唐揚げを買い、美味しそうに頬張った。

「競馬場がつぶれたら生活ができない人がたくさんいるので、つぶれなくて良かったなっていうのはもちろんですし、笠松競馬場のおかげで自分はこうやって毎日攻め馬にも乗せていただいているし、レースにも乗せていただいているし。改めて、あることに感謝ですよね。つぶれなくてよかったなと思います」

「ジャニーズの動画を見るのが息抜き」という深澤騎手。20歳の若さで勝負の世界に生きる強さも身につけた騎手に、人生の夢を尋ねてみた。「うーん」としばらく考え込んだ後、「騎手として、だと」と前置きして、こう答えた。

「女性騎手では一番を取りたいですね。笠松を背負って立てるような騎手に成長できればいいなと思います」

2022年2月、笠松競馬では騎手の間で新型コロナウイルスのクラスターが発生し、2月21日から25日まで開催予定だった1シリーズが取り止めになった。3月14日に再開したが、1開催分の売り上げがなくなり、赤字もさらに増えそうだ。

そんな逆境の競馬場で、深澤騎手はきょうもゴールを目指す。

クレジット

監督・撮影・編集 小澤雅人
プロデューサー 細村舞衣 金川雄策

[協力]
岐阜県地方競馬組合
株式会社セントラルビデオ
笠松競馬場のみなさま

映画監督/映像クリエイター

2016年公開の長編映画『月光』(監督/脚本/編集)では性暴力被害の実態を描き、第32回ワルシャワ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門に正式招待された。親からの虐待を受けて育った少年少女を描いた長編第二作『風切羽~かざきりば~』( 監督/脚本/編集)は、第14回全州国際映画祭(韓国)にてインターナショナル・コンペティション部門の作品賞を受賞。長編第一作『こもれび』(監督/脚本/編集)は第14回上海国際映画祭(中国)等に正式招待されている。他にも若者のホームレスや機能不全家族、ギャンブル依存症、外国人労働問題、特別養子縁組といった切実な社会問題をテーマに映画を描き続けている。

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