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感染で重症化の恐れも〜電動車椅子サッカー、コロナ禍でW杯出場に挑む葛藤

中村和彦映画監督

女性初の電動車椅子サッカー日本代表選手、永岡真理(29歳)。2021年のワールドカップ(以下W杯)に向け着々と歩を進めていたが、コロナ禍で活動はストップした。W杯も1年延期が決定。永岡真理は脊髄性筋萎縮症で、感染すると重症化するリスクが高い。ヘルパーの人員不足など、日常生活に支障も出ている。そんな状態にあっても、自宅や公園で工夫しながら練習を続ける彼女の思いとは。

●感染の不安と、ヘルパーの不足

「体育館で練習をしたいけど、感染リスクを考えると難しい」

電動車椅子サッカー選手、永岡真理はそう語る。永岡は生まれながらの脊髄性筋萎縮症(以下、SMA)Ⅱ型で、一度も歩いたことがない。SMAとは、遺伝子異常により脊髄の運動神経細胞が変性し、筋力低下と筋萎縮が進行する神経難病である。呼吸機能が低下したり、背骨が弯曲する者も多く、新型コロナウイルスに感染すれば重症化するリスクも高い。

永岡は小学2年の時に初めて電動車椅子に乗り、自分の意思で動く喜びを知った。嬉しさのあまり授業が始まっても校庭をグルグルと回り続けることもあった。以来、電動車椅子は、永岡の“足”となる。

その“足”に鉄製のフットガードを取り付け、ボールを蹴り、4人対4人でゴールを競い合うのが電動車椅子サッカーだ。SMAの他、筋ジストロフィー、脳性麻痺、脊髄損傷など、重い障害を持つ者がプレーできる数少ないスポーツであり、男女混合でプレーする。
永岡は4年生の時に電動車椅子サッカーと出合い、瞬く間に夢中になった。

以後、永岡はずっとプレーを続け、強豪「横浜クラッカーズ」の中心選手に成長。くるりと回転しての強烈なキックは、フィギュアスケートの浅田真央をイメージして会得したという。

2013年には女性として初の日本代表に選出され、シドニーで開催されたアジアパシフィックオセアニア選手権に出場。ゴールも決めた。その後も日本代表候補として選ばれ続けていたが、2017年アメリカW杯メンバーからはまさかの落選。涙を飲んだ。
しかしその後は、横浜クラッカーズを3度、4度目の全国大会優勝へと導き、2021年豪州W杯に向け着々と歩を進めていた。

そんな折、コロナ禍で活動がストップした。2020年2月を最後にチーム練習はなくなり、日本選手権も中止。W杯は1年延期が決定。体育館での個人練習もできない。家から出ることもなくなった。

2011年から6年間、ドキュメンタリー映画「蹴る」の撮影で永岡真理を見つめ続けてきたが、活動がストップした永岡に再びカメラを向けることにした。

永岡と母は、新型コロナウイルスについて報道され始めた2020年1月の時点から、感染には細心の注意を払ってきた。2月以降は電車にも乗っていない。母はこう言う。

「娘が感染したら大変ですし、親がなっても大変。介助する人がいなくなってしまうのが不安」

一番困っているのはヘルパーの不足だと永岡は言う。重度訪問介護で入っている事業所のうちの一つは、コロナ禍、週5日の介護が週1日に減った。起床介助が手薄になりベッドから起き上がれない、入浴できない日も少なくなかった。代わりに介助する母にも限界があった。

競技中は縦横無尽に動き回り豪快なシュートを放つ永岡だが、日常での介助は不可欠だ。介助者が不足すると今までのような生活を送ることができなくなる。

●厳しいガイドラインで練習を再開

「サッカー、家でできないかな?」

何もやらないと筋力も落ち、ボール感覚も鈍ってくる。永岡真理の問いかけに、母は「廊下を使ったらどう?」と提案。家の中で練習を始めてみた。フットガード、体を固定するベルト、首やあごを固定する器具等は使用しない。これが体幹や首を鍛えることにもつながった。蹴り方は電動車椅子を前進させてボールを突く“前付き”。最初はまったくうまくいかなかったが、繰り返すうちに上達した。

だが、家の中では回転キックの練習はできない。コロナ禍以前は続けていた体育館での個人練習も、感染への不安があり難しい。そこで、蹴ると紐につながれたボールが戻ってくる器具を購入し、7月から近所の公園でボールを蹴り始めた。しかし、地面が斜めで感覚がつかみにくい。ざらざらした舗装のため、タイヤはすり減る。やはり体育館で練習がしたい。

横浜クラッカーズでは選手・スタッフ間で感染対策を話し合い、7月、5カ月ぶりにチーム練習が再開された。だが回数も少なく、あくまで任意参加だ。体調や体温、参加するかどうか、同行者が誰なのかを事前に連絡し、練習前にはスタッフが備品を消毒。重度の障害を持っている人が多いため、厳しいガイドラインが必要だった。接近するプレーは避け、休憩も各々の待機場所を定め最低3mは間隔を空ける。永岡は9月の練習から参加。不特定多数の人の出入りがない小学校体育館での練習に限って参加することにした。
練習後、永岡はしみじみと語った。

「タイヤの空回りも傾斜もなく、やりやすいのでちょっと感動しました。サッカーできることが当たり前じゃない」

●コロナ禍での入院に罪悪感

「電動車椅子サッカーをもう少し続けたいが、病気の進行はどうなるかわからない。不安を抱えたまま世界の舞台を目指すのは限界がある。治療して筋力の改善につながればいいと思い、投与を決めました」

SMAに長年治療法はなかったが、新薬「スピンラザ」が開発され、国内では2017年に保険適用となった。スピンラザは、欠失した遺伝子のバックアップ遺伝子が正常に機能するように働きかける新規の遺伝子治療薬である。継続した投与が必要で、脊髄腔へ直接投与される。永岡はコロナ禍以前に投与を決め、11月に4回目の投与を受けた。(注1)

薬の効果は即座に現れ、基礎代謝が上がり以前ほど寒さも感じなくなった。食欲も増進。手首が強くなり、以前は軽いスプーンしか使えなかったが、普通のスプーンが持てるようになった。うまく飲み込めなかったナッツ類、キャベツの千切りも食べられる。電動車椅子サッカー練習後の疲れもあまり感じなくなった。「笑って」と言われても表情筋がうまく働かず、ぎこちなかった笑顔もスムーズに出るようになった。

コロナ禍での入院は、普段通りではない。本来入院するべき脳神経内科は、新型コロナウイルス対応病棟増設のために閉鎖されていた。そのため脳神経外科に入院せざるを得ず、看護師もSMAの患者対応には慣れていない。また永岡は病床を埋めることにもためらいがあったという。

「自分の入院でベッドが一つ埋まってしまう。コロナ禍で、より緊急の人のためのベッドが一つでも減ってしまうことに罪悪感がある」

●今、できることを、積み重ねていくしかない

冬を迎えて、公園での練習は手がかじかむ寒さとなった。チーム練習は少ないながらも再開されたが、不特定多数の人が出入りする体育館での個人練習は、感染への不安から、出来ないでいた。さらに寒くなれば、公園での練習も難しくなる。

「練習できる場所がないというのも言い訳。コロナももっとひどくなって、練習もしづらくなる。もうちょっとどうやっていくか考えないといけない」

最終チャレンジと見定めたW杯は、2022年10月に豪州で開催予定。
今、できることを、工夫して積み重ねていくしかない。永岡真理は、そう思っている。

注1)スピンラザは、1回目投与の1か月後に2回目、2回目の2か月後に3回目、3回目の半年後に4回目、以後、半年ごとに投与される。
 また、その後、SMA治療薬として新たに「ゾルゲンスマ」が開発され、国内では2020年に保険適用となった。欠失している遺伝子(SMN1)を点滴静注で導入するもので、投与は一度のみ。対象は2歳未満に限られている。

(協力)横浜市立大学附属病院 脳神経内科 医師 高橋慶太

クレジット

監督・撮影・編集 中村和彦

撮影協力 横浜市立大学附属病院
     Yokohama Crackers

映画監督

大学在学中より助監督として劇映画の世界に入る。監督作に「棒」(2001年)、その他「日本代表激闘録」をはじめとするサッカー関連DVDなど多数。知的障害者サッカー日本代表を追った長編ドキュメンタリー「プライドinブルー」(2007年)で文化庁映画賞優秀賞受賞。ろう者サッカー女子日本代表を追った「アイ・コンタクト」(2010年)では、山路ふみ子映画福祉賞受賞。南相馬市のマーチングバンドを描いた短編「MARCH」(2016年)では、ニース国際映画祭外国語ドキュメンタリー映画最優秀監督賞。 6年以上の撮影を経て電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が完成し2019年春より全国で順次公開中。

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